その計画に意志はあるか?
今日会社であったMTGで、何とも言えない違和感を覚えたので、ここで考えてみる。
あるMTGでの会話
ある人に仕事をお願いしたんです。
「この課題を解決したいので、一旦自分でスケジュール立ててみてください」と。
すると、その人は「あー、はい。たぶん来週中には全体像をつくって、その次の週は・・・」みたいな感じで、その場でばーっと仮のスケジュールを言い始めた。
自分はここで、何とも言えない違和感を覚えたんですよね。間違ってはいないんだけど、なんか気持ち悪い感じ。正直、「あー、たぶんこれは失敗するな」と思った。でも、何故そう感じるのか、何をどう変えるべきかがわからなかったので、とりあえずそこでは「まあ、一度持ち帰ってじっくり考えてください」と伝えた。
時間が少し経ってみると、なんとなく違和感の正体が見えてきました。一言でまとめると、「ばーっと言ったスケジュールに、『意志』が感じられなかった」んだと思う。
仕事の計画には意志はあるか?
仕事の計画には意志が必要だと思っている。というのも、やるべきことが不明瞭な仕事は、どうやったらゴールに行き着けるのか、という道筋を自分で考えないといけないからだ。目的を達成する道筋はこの世にごまんとあって、どの道筋を採用するのかは、ある程度は実現可能性などの差はあるものの、最終的には好き好みだと思う。実行者の意志と言うか、「私はこうやることが最良だと思います、何故ならば・・・」というものが必ず出るはずである。
今回の件でいくと、「口にした流れが目の前からの積み上げで、およそゴールからの逆算ではない」、つまり達成の意志が全く存在していなかったことに違和感を覚えたんだと思う。
「そもそも目的が達成できるどうかを左右するポイントは何だと考えているの?」
「目的を達成するにあたっての課題は何で、それをどう解決するつもりなの?」
「やるべきことが見えていない中で、週単位の予定を立てて、間に合うの?」
などなど、色々な質問が頭を駆け巡って、違和感になったんだと思う。
この違和感は実は初めてのことではなく、過去何度もあったけど、言語化できたのは初めて。過去、他の人がつくってきた意志のない計画をどうにかフィードバックをしようといても、「やってみないとわからないじゃないですか」で引き下がる場面がありました。そんな場面は特に、『何も考えていない人』ほどよくありました。今回、違和感を言語化できたことで、もしかしたらそんな人とも少し深いやり取りができるかもしれないです。
そんな発見をした日でした。