「工夫の幅が少ない」と一人で悩んでいる人達へ

昨日、今日と、日中はずーっとMinecraftをやっています。やったことある方もたくさんいると思うので今更ですが、まあ時間が溶けていくゲームです。

 

過去もやっていたんですが、今回は今までとは少しやり方を変えて、ネット上の先輩方の作品を真似しながら凝った建物を建てています。

そんな作業をしてて思うのは、『工夫はインプットから生まれるなー』ということです。

 

工夫は独りぼっちではできない

『工夫する』という言葉からは、一人で黙々と考えたり、作業したりする姿がイメージされますが、本当の『工夫する』は一人ではできません。

例えば今回はまっているMinecraftというゲーム内でも、前回の時までは「カッコいい家を建てたいなー」と一人で頑張っていましたが、出来上がりはやっぱり『それなり』で、すぐに飽きてしまいました。「もっといいものを!」とは思いながらも、工夫の手数はいきなり増えません。結局、いつも同じような出来になってしまうのです。

 

外部からのインプットが、工夫を促す

一方、今回は渓谷の間で小屋を作っているときに、ふわっと『渓谷全体が砦のようになっている、立体的な構造物の絵』が浮かんできました。それは、過去にMinecraftのプレイ画像で見たものでした。

今回は浮かんできたイメージを実現したい!というゴールが明確だったので、遮二無二没頭できました。

出来上がりはやっぱり『それなり』ではありましたが、その『こんなものがつくりたい!』というイメージがあったからこそ、楽しく没頭できたのだと思います。

これは、ゲームだけでなくすべての創作活動にいえることだも思います。つまり、自分一人の世界でうんうん唸っていても、創意工夫の幅はなかなか広がりません。外部からの刺激があってはじめて、『こうしてみたい!』『あれをやってみよう!』という工夫の広がりが出るのです。

 

 

インスピレーションは悪か?

でもこんなことを言っていると、「結局やっていることはパクりでしかなく、工夫でも何でもない!」なんて言われそうです。これは半分あたりで、半分外れだと思います。

要は、『パクり上等、パクった上で工夫せよ』ということ。Minecraftの先輩方の作品を見ていると、正直「自分だったら何年たっても思い付かないだろうな」というものばかりです。ただ一方で、「自分だったらこんな風にするなー」という生意気なことも思います。この生意気な気持ちがたぶん創造性。

カッコ良く言うと『インスピレーション』なんだと思います。

 

 

なんだか、話が盛り上がってしまいましたが、Minecraft初心者が楽しんでいます、というお話でした。

 

 

Minecraft

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